1ヶ月位かけて書いてきた今更よりもい論も今回でラストです。

今回は改めて作品全体を通して見直してみることにします。
そして、作品を支えている「澱みの解放」「宇宙よりも遠い場所」「旅に出ること」について考えてみたいと思います。

==========お品書き==========


2,自分で選んだ道であるということ

3,きっとまた旅に出る

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《総括1,宇宙よりも遠い場所ってどこ?》

 タイトルにもなっており、本編でも度々象徴的に使われる「宇宙よりも遠い場所」という言葉。これはもちろん宇宙飛行士の毛利衛さんの言葉からの引用で、狭義的には「南極」を指す言葉です。報瀬の母貴子の本のタイトルでもあり、女子高生四人が目指すべき場所でもあり、観測隊員共通の目標でもある言葉ですが、実際、どういう意図でつけられたタイトルであり、どういう意図で使われるべき言葉なのでしょうか。この辺を少し考えてみたいと思います。

 宇宙よりも遠い場所という言葉はそもそも貴子が作った造語のようなもので、小淵沢親子以外は口に出したりはしません。報瀬にとっては「母親がいるはずの、でも女子高生の自分にはたどり着けない場所」であると同時に「それでもいつか不可能を可能にしてたどり着かねばならない場所」という意味を持つ言葉です。さらに報瀬は船上での吟隊長との会話で「待っているだけの生活を変えるために行く」というような発言をしています。これは作品テーマである「澱みの解放」につながる発想です。
 ではこの言葉を著書に使った貴子はどう考えていたのでしょうか。おそらく本の一節だろうと思われるこんな言葉があります。

「宇宙よりも遠い場所、それは決して氷で閉ざされた牢屋じゃない。あらゆる可能性がつまった、まだ開かれていない世界で一番の宝箱。」

 これを単純に南極はまだまだ研究対象として興味が尽きないととらえることもできます。しかしあの本が学術書に見えないことと、学校図書館に寄贈されていることからこう考えることもできるのではないでしょうか。自分にとって初めて経験することや未知の領域には自分もまだ知らない素晴らしい体験が待っている。今は途方もない距離を感じるかもしれないが、それを踏み越えていくだけの価値はきっとある。そんな若い世代へのメッセージであると。
 つまり宇宙よりも遠い場所の「遠い」は精神的な距離の意味合いが強く、そうであるならそれは誰の心の中にも存在しうる普遍的なテーマであるということになります。製作者がJK南極ものだからといって「なんきょく!」とかにしなかったのはおそらくこういった普遍性を持たせるためだったのではないでしょうか。(キマリも「北極でも同じだったかも」という発言をしていますしね)



《総括2,自分で選んだ道であるということ 》

 前項で宇宙よりも遠い場所とは「澱みを解放した先にある場所」であり「自分にとっての未知の領域」であると言いました。そしてそれは視聴者全員に当てはまる普遍性もあるのだとも言いました。そこで問題になるのが「そこにたどり着くための方法論」です。こちらも作品中に誰にでも当てはまる解答が提示されているのが好ましいです。
 それについては報瀬でも貴子でもなく、そのパートナーであるキマリと吟隊長によってヒントが語られています。4話のキマリは、吟隊長に「誘われたから行くのか?」と問われて「自分が南極に行きたいから行くのだ」ということを伝えていますし、8話では「いくつもあった選択肢の中から自分が選び取ってこの場所にいるのだ」ということを口にしています。ここから考えるに宇宙よりも遠い場所へ到達するには「自分で選んだ道」であることが第一の条件だとわかります。
 次に吟隊長の言葉を見てみましょう。9話の回想シーンやラミングのシーンで語られる「何度も何度も」は吟ちゃんの魂と貴子が呼んだものです。そして12話「思い込みこそが現実の理不尽を突破し、不可能を可能にする」という名言。ここから第二の条件は「達成可能であると心に強く思い、繰り返し挑戦すること」だということがわかります。

 ここで重要なのがテーマの提示と解決方法を示すそれぞれのセリフが別々の四人に分割されている点ではないでしょうか。一人の超人的なキャラクターがみんなを引っ張っていくストーリーにしてしまうと、「でもあいつは元からすごい奴だからできるのであって・・・」と感じる人も出てくるかと思います。しかし、このアニメは宇宙よりも遠い場所の正体、そしてそこへ到達する方法を四人の人間が別々のタイミングで語っているので、このテーマがどんなパーソナリティを持っている人にも当てはまるということがよりよく伝わる気がします。
 極めつけは作品のラストでのめぐっちゃんの行動です。もっとも深い澱みにはまっていた人間が「もうひとつの宇宙よりも遠い場所」へ到達したことにより、作品が一貫して伝えようとしていることに説得力が増します。そうして我々はモニタ越しにキャラクターたちから問いかけられているように感じます。

「さぁ次はお前の番だぞ。どうするつもりだ?」と。




《総括3,きっとまた旅に出る》 

 最終回のラストに流れる四人のモノローグはこの作品を締めくくるにふさわしい素晴らしい文章になっています。

 以下引用

旅に出て初めて知ることがある
(中略)
それを知るためにも足を動かそう
知らない景色が見えるまで足を動かし続けよう
どこまで行っても世界は広くて
新しい何かは必ず見つかるから
ちょっぴりこわいけど、きっとできる
だって
同じ思いの人はすぐ気づいてくれるから


 まさにここまで13話を使って語られてきた「宇宙よりも遠い場所」への完璧な解答になっているのではないでしょうか。そして画面には最後のサブタイトル「きっとまた旅に出る」の文字が。これは四人組のことを表していると同時に我々へのメッセージにもなっています。まだ自分なりの「宇宙よりも遠い場所」を見つけていない人も、すで一度そこへ到達してこれから新たな目標を探す人も、一度挫折を味わった人も、「きっとまた旅に出る」日が来るんだというメッセージ。そしてその時にはこのアニメを思い出してほしいという願いも込められているように感じます。サブタイトルの下には小さな文字ですが英文で、

Best wishes for your life's journey!
(人生の旅路に幸運を!)

と書かれていることからも、これは視聴者へ向けたメッセージという意味合いが強いことがわかりますね。視聴者層を考えると、これはすでに一度自分なりの「宇宙よりも遠い場所」に到達したことがあるのに今はまた別の問題から現実の日々に閉塞感を感じている20~40代くらいの人に刺さるアニメなんでしょう。現在進行形でそこを目指している青春真っ只中にある人にはピンとこないかもしれません。そんな人でも10年後くらいにふと迷ったときに足を止めてこのアニメを見てみると、まったく違う作品に見えるかもしれません。たぶん10年後でもまったく色褪せることなく見れる作品だと思います。

 さて長々と8回くらいに分けて書いてきた今更よりもい論ですが、この辺でおしまいにしようと思います。(まだまだ書きたいことはたくさんありますが)へたくそな文章なので読むのは大変だと思いますが、すこしでも楽しんでいただけたのであればうれしいです。

 あまりよりもいファンとネット上で絡んだことはないのですが、これを機にみなさんの意見もうかがってみたいです。コメント欄や私のツイッターに感想や反論、指摘などいただければ嬉しいです。

それでは。
読んでいただいてありがとうございました



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